湯本温泉 現・長門市深川湯本
大寧寺川(たいねいじがわ)が深川川に合流する付近、赤間関街道(北道筋)
沿いの地にある。
寛永二年(1625)検地において、初めて湯坪役石として五石一斗二升を高請した。
大寧寺由来書(「注進案」所収)によると、応永年間(1394〜1428)大寧寺三世定庵が
住山の頃「当国の一宮住吉明神、老翁の身を現し室に入て法を問ふ、〈中略〉菩薩戒を受け後に宗要を究む、応永丁未定庵和尚信衣を以て付属す、明神重ねて者翁の身を現して曰、他日山後に温泉を湧出して灌浴に便りせん、是則ち法乳の洪恩に酬ひ奉ると云終て十丈余の大竜と化し、法衣血脈を戴き雲に乗じて去る云々、温泉初俵山に湧出す。
寺を去ること六拾丁、灌浴に便悪しく合山是を愁ふ、温泉移て寺の東に湧く、山門に近きこと六七丁云々」という温泉の起源伝承を記す。近世初期には賦税の対象とされ、温泉開発の景況が知られる。大寧寺が泉源を支配し、寺侍を湯別当として入場料を同寺に収納した。
温泉は二分所にあり、一つを礼湯とよび湯坪二つのうち、一万を大寧寺衆僧の用にあてて俗人禁制とし、他方を地下人に入湯させた。もう一つは温場とよび、一般湯治人に供されたが、「注進案」所載の図によると、上中下の三つがあり、上場坪の大きさは一間二尺余に一間三尺余である。別棟がありそこにはせん陀堂が設けられ、中国禅林の浴室にならい吸陀婆羅が祀られた。
近世にはこの温泉を中心に町揚が形成され、天保年間(1830〜44)の戸数三〇、藩主の湯治のための御茶屋も設けられていた。
なお温泉守護神として住吉より住吉社があったといい、現在一之宮杜がある。温泉地一帯は音信川(おとずれがわ)はゲンジボタル発生地として国指定天然記念物となっている。
(平凡社 日本歴史地名大系36山口県の地名より)

音信川(おとずれがわ)にそってホテルが建っている。
