大寧寺 長門市深川湯本門前
大寧寺は、永享の頃(1429〜1440)長門守護代鷲頭弘忠により、能登総持寺の石屋
真梁禅師を請じて開山した古利で、天文20年(1551)の大内義隆の自刃にともなう
焼失と寛永17年(1640)の野火による二度の火災に見舞われて現在に至っている。
現存する本堂は、文政12年(1829)45世泰成の代に境内諸堂の一つである衆寮を
もとにして建替え、向拝や後陣を増設したものである。
毛利文庫の「大津深川大寧寺諸堂御脳所並自作事所差国」によると、境内伽藍は
一町四方余りに山門、本堂、開山堂、庫、裡、客寮、小庫、裡をはじめ、耆宿寮、
僧堂、衆寮堂、東司など参禅のための諸堂が完備し、西国、九州を統轄した僧の
威容をしのばせるものがある。
このように本堂は、もと衆寮という曹洞禅の道場の一つをたてたもので珍しく、
模様も県下仏教寺院中最大で、建築史上希少価値がある。

大寧寺は応永17年(1410)守護代鷲頭弘忠が創建したと伝えられる。
境内の主たる史跡としては、萩藩重臣の墓地、盤石橋が挙げられる。
境内西側南斜面から山麓にかけて、大内義隆家臣と萩藩上級武家層の墓
群約250基があり、寺格の高い歴史的由緒をもつ大寧寺に重臣の藩士たちが
こぞって分骨したものと思われる。
墓石の態様も自然石塔板碑、宝筺印塔、五輪塔等多様であり、
墓石様式を知る上でも価値がある。
境内の前を流れる大寧寺川には、盤石橋虎渓橋がかかっており、特に盤石橋は
寛文年(1668)に架設され、大小の石を組み合わせた橋梁及び橋脚からなる、
長さ13メートル、高さ約3メートルの小橋であるが、
造形的にはすばらしく、防長3奇矯に数えられている。

防長3奇矯 盤石橋 虎渓橋
(山口県教育委員会・長門市教育委員会説明文参照)