御船倉全景

御船倉入口

萩藩御船倉 萩市大字東浜崎町

 住吉神社の東にある藩主の御座船を格納した場所。築城後まもなく建設されたといい、慶安五年(1652)の城下町絵図には松本川の川尻近くに描かれる。
ために船倉
の中まで水が入り、大船が自由に出入りすることができた。
明治五年
(1872)御船倉は廃され、次いで突堤であった外囲いの石垣が除かれ、水場も埋め立てられた。国指定史跡。
  現在、中央の大船倉が一棟あり、両側と奥を大きな玄武岩の切石で築き上げ、
その上に本瓦葺の屋根をかけ、
前額は石門となり中央に出入口を設けて木製扉が
ある。

貞享年間(168488−)の城下町絵図では二棟と解され、元文年間(173641
の絵図では三棟、天保年間(
183044)の「八江萩名所図面」では四棟が描かれ
ている。
明治初年に北側の小船倉一棟、昭和二五年(1950)に南側の小船倉一棟
が取り壊された。この種の屋根を備える
旧藩船倉で、今日残る唯一のものである。

嘉永五年(1852)正月付の凋諸事心覚之控(山県家文書)によると、例年正月三日に「御船倉御舟御乗初」の儀式が行われた。まず浜崎代官所で御熨斗頂戴の儀式がある。次いで代官が御船倉門口から入り、御船倉波戸場道に並ぶ年寄・添年寄らに迎えられて波戸場に係留する御船に乗船、一同もこれに従う。乗出し時に御船謡の演唱があり、代官から順次御洒頂戴があって儀式は終了する。

 御船倉に憐接する一郭に浜崎町・浜崎浦および七裏六(浜崎浦・大井浦・
越ヶ浜浦・小畑浦・鶴江浦・玉江浦・
三見と羽島・肥島・大島・櫃島・尾島・相島)と見島郡を管轄する浜崎宰判の勘場(代官所)があった。ために御船倉は浜崎勘場
の通称となり山県家文書の一通には「弘化三午
11月御船倉え仕出控、浜崎町方井新丁風土帳」とある。
また城下町絵図はいずれも両所を併せて「御船倉」(御船蔵)と記している。

(山口県の地名 日本歴史地名体系 36 平凡社から抜粋)