春帆楼 下関市阿弥陀寺町

春帆楼の名前は初代総理大臣伊藤博文が付けたものだそうです。
明治28年3月、日清講和条約の会場選びは、長崎、広島など幾つかの候補地
があげられていましたが、1週間前になって伊藤博文が「下関の春帆楼で」と
発表して決定しました。
この談判は、世に「下関条約」と呼ばれていますが、わが国で地名のついた条約
はここと「下田条約」くらいのものでしょう。

     日清講和記念館


この記念館は、日清講和会議に使われた調度品類や貴重な資料などを公開するため、
昭和12年に開館されました。
展示品の中でも特に椅子類はかっての浜離宮(東京)の調度で、ランプ、ストーブ硯箱、
インク壷、朱肉入れなどと共に、講和会議の様子を今に伝える貴重な歴史資料です。
明治28年(1895)に、隣接する春帆楼を会場に行なわれた日清講和会議は世界の外交
史に残るもので、日本全権弁理大臣伊藤博文と清国講和全権大臣李鴻章の2人を中心
に両国の代表11名が列席し和議交渉を行ないました。
なお、この交渉の途中で、清国講和全権李鴻章が暴漢によって狙撃され、負傷すると
いう事件も発生しました。         (下関市教育委員会)