明治維新史跡 枕流亭

この建物はもと山口の旧家安部家の離れで、市内道場門前の
一の坂川の流れにのぞむ河畔にあったので「枕流亭」と呼ばれた。

幕末、七卿落ち、蛤御門の戦などで薩長両藩に大きな溝が出
来たが、勤王の大儀と討幕の目的のためには、両藩が離反して
いることは大きなえ支障であるとして、土佐の坂本龍馬らの奔走
によって、両藩連合の話し合いが進められた。ここにおいて、
慶応3年(1867)九月、薩摩の藩士西郷吉之助(隆盛)
大久保一蔵(利通)小松帯刀、大山格之助らが山口に来訪した。
これに対し、長州藩は木戸準一郎(孝允)、広沢真臣、
伊藤俊補(博文)、品川弥二郎らが迎え、枕流亭の階上において
薩長連合の密議をかさね、連合討幕軍の結成を誓ったのである。

実にこの枕流亭は、明治維新のあけぼのをつくった記念すべき
建物である。
枕流亭はその後二、三度移築されたが昭和35年ここに移された。  

             露山堂
文久3年(1863)4月萩藩主毛利敬親は幕末の政情に処するため藩庁を萩から
山口に移し、今の県庁のところに政治堂を建てた。
その時政治堂の近くの一露山の麓に茶室を設け、一露山の一の字を省いて
露山堂と名付けたのがこの建物である。
敬親は茶道にことよせて身分に関係なくこの一室に集めて討幕王政復古の大業
にいて密議を凝らした。
廃藩の後は他に移築されて持主も数人かわり、腐朽が甚だしかった。 
これを知った敬親の側近に長く勤めた品川弥二郎は、その由賭ある建物が朽
果てるのを惜しんで、有志に図り、資を集めてその建物を買収し、明治24年4月
現在地に移したものである。
茶室周囲の庭園はこのとき造られたものである。
その後、昭和38年と48年に増築工事が行われ現在に至っている。