功山寺 下関市大字豊滴村功山寺

 長府地域の西部にあり、総門をくぐると左に地蔵堂、坂を登ると三重門の山門があり、前方に仏殿がある。右に法堂と鐘楼、仏殿の裏には長府藩主の墓所がある洞宗で金山と写し、本尊は釈迦如来。
「豊府志略」によれば嘉暦2年1327虚庵玄寂により開創され、当時は臨済宗で
長福寺といった。
弘治3年(1557)大内義長の自刃の場となってから戦乱で荒廃したが、のちには180石4升8合の寺領を与えられている(毛利氏8ヶ国時代分限帳
 慶長7年1602年長府藩初代藩主毛利秀元が修理を加え、曹洞宗に改宗した。
慶安3年
1650秀元が死去、
その法号智門寺殿功山玄誉大居士にらなみ功山寺と改称し、長府毛利氏の菩提所とした。

承応元年
1653の功
山寺文筆「長府史料」所収)に功山寺境内山林並寺領東郡の内高210石4斗7升6合の地全可有寺務者也

承応元年辰任10月3日 光広在判 功山寺とあり寺領210石余を与えられていた。

年代不詳で
あるが寺社奉行諸控「長府史料」所収}の「功山寺支配並末寺」
には、塔頭寺の蔵海軒・江雪庵・月渓院や隠寮の白
繭軒ほか末寺11ヵ寺がある。元治元年1864政変で都を追われた七卿のうち三条実美以下5人が、同年11月から翌年1月大宰府に移るまで当寺に滞在し、12月15日の夜、高杉普作がこの五卿を前にして長州藩の藩論統一のため挙兵した(防長回天史)。仏殿裏の墓所には、長府藩初代秀元・5代元矩・9代匡満・10代匡芳・2代元義・3代元運・表代元敏・15代元雄・一六代元匡をはじめその正室や側室などの墓碑がある。
功山寺仏殿は国宝で嘉暦2年の創建といわれるが、内陣柱上部に「此堂元応2年卯月5日柱立」の墨書がある。
二重屋根の化粧たるきは放射状に配置されていて扇垂木と称し、入母屋造の屋根は曲線を描き、唐様建築の特徴をみせる。
ほかに県指定有形文化財として木造地蔵菩薩半跏像がある

(平凡社 日本地名大系 山口県の地名より)

参 道
山 門

功山寺本堂

高杉 晋作像