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| かまぼことは!? かまぼこは日本の代表的な伝統水産食品で、弾力の強い特徴的な食感をもっている。魚の肉を食塩やその他の副原料と一緒にすりつぶして加熱して作るので、練り製品、潰しもの、崩しなどともよばれる。かまぼこの名前は外国でも通用し、Kamaboko,Surimi,Surimi based productsなどといわれる。米国ではSurimiはカニ風味かまぼこをさすほどです。カニ風味かまぼこは今や国際的食品になっており、魚をあまり好かない外国人が喜んで食べるようになった。かまぼこは魚から肉だけを取りだして加工して作るので、食品としていろいろと優れた機能をもっている。たとえば取りだした魚肉を水晒しすれば、魚のいやな臭いを取り除き、色を白くできる。塩と一緒にすり潰している間に、色々な副原料、調味料を添加して好きなように風味を整えられる。形も、食感も自由にかえる事がとができる。加熱するので生魚より日持ちが良くなる。また形の小さい魚、食味のわるい魚、骨の多い魚、見かけがグロテスクな魚、新顔でなじみのない魚など、直接食卓に乗せるのにむかない未,低利用魚でも,かまぼこに加工すれば美味しく食べられる。水産資源の有効利用の面から見てかまぼこは魚を食用として活用するための非常に優れた手段である。 |
| 蒲鉾のルーツは料理 腐りやすい魚を保存するために、大昔から乾燥、塩漬けなどいろいろな加工方法が考案されてきた。かまぼこは干物や塩魚などとちがって、魚を保存するためではなく、魚をおいしく食べるための手段として始まった。かまぼこは中国や東南アジアから渡来したと考える人が多いが、はっきりした根拠は見つかっていない。小田原の鈴木廣吉氏は、魚を料理するのに塩を使うのは付き物で、魚肉の切れ端を塩とすりつぶすことは当り前として、かまぼこの自然発生説をとっていた。神功皇后が三韓征伐の途中、神戸の生田の杜ですりつぶした魚肉を鉾の先に付けて焼いたのが、かまぼこの始まりという伝説が以前からある。かまぼこ研究の大先達である清水亘先生はかまぼこのルーツをいろいろ調べられたが、この伝説の根拠をついに発見できなかった。しかし、先生はかまぼこの一番古い記録を類聚雑要抄(るいじゅぞうようしょう)1672年(寛文12年)の中に見つけられた。この文書は、江戸幕府の儀典を受け持つ高家が室町時代以前からの古式の正膳料理を記録したものである。 その中に、西暦1115年(永久3年)7月21日に関白右大臣藤原忠実が東三条殿へ移転したときのお祝いの宴会の料理献立があり、蒲鉾と名前が付けられた絵があった。紙を折って作った飾り、亀足がついた竹の棒に巻きつけたちくわ様のものである。このことから全国蒲鉾水産加工協同組合連合会は,1115年に因んで11月15日を蒲鉾の日としている。日本最古のかまぼこの絵 永久3年宴会料理に出た。串の先の三角は紙で作った飾り。 |
![]() かまぼこの作り方は、室町時代中期,1528年に出された宗五大草紙(伊勢貞頼)や,徳川綱吉時代の擁州府志(1684年)などの料理書に記録されている。それらの中に,「かまぼこはなまず本也、蒲の穂に似せたるもの也」とか、「ハモ肉を石臼ですり、塩を加えて竹茎に塗りつけ、焼いて食す、これを蒲鉾という。」などと記されている。これらの記録から、水辺に生える蒲の穂にそっくりな形をしている焼き竹輪状の製品を、最初はかまぼことよんでいたことがわかる。17世紀末元禄時代には、板に付いた現在のかまぼこが料理の一品として作られており、あぶり焼きで加熱していた。いずれにしろ江戸時代中期までは、かまぼこは高級料理の一品であった。 |
| 参考資料「山口県の産業」 発行元:山口県 |
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